794年、平安京遷都に際し桓武天皇の勅願により京都の守護神として 奈良・平安時代初期に悲運のうちに薨じた祟道天皇(早良親王)を 現在の社地に祀ったのが始まりであります。その後、合祀され貞観5年 (863年)5月神泉苑に六所の神座を設け、悪疫退散の御霊会を勅修せられ、 のちに火雷神と吉備大臣を併祭されるに至り、世に八所御霊、又は 八所御霊大明神と称え奉られ、さらに明治14年には祭神五柱が追祀されました。 平安時代には、天変地異や疫病流行は高貴の人々のお怒りであるとする信仰の 御霊信仰が盛んで、御霊神社は古来疫病除の霊社として有名です。 室町時代になると、畠山政長が御霊の森で畠山義就と戦ったことから 「応仁の乱」発祥の地となったことは史上有名であります。 古くより皇室や時代の施政者から「産土神」「上御霊さん」と親しまれており、 現在でも京都市上京区・北区の約1万3000戸の氏神様として崇敬されています。